最終日 唐招提寺



11月20日 早く寝てしまったせいか3時半に目覚め再び眠る・・・いつもどおり6時31分の目覚しで起床。コーヒーを飲み
ながら外を眺めると、この日も青空が広がり雲ひとつ見えない。
             

7時15分にはレストランでの朝食で、全く同じメニューの4日目だから完全に飽きている・・・。
食事を済ませて部屋に戻り、テレビを観てから出発の準備をする。
8時35分にはチェックアウトを済ませ、スーツケースを預けてホテルを出発。気温は0℃と、真冬並みの寒さだという。
近鉄奈良駅発8時56分の電車で大和西大寺方面へ向かった。
大和西大寺駅からは9時08分の各駅停車に乗り、二駅目の西ノ京駅で下車する。
西ノ京の前は薬師寺だが、薬師寺は何度か訪れていたので時間が余れば寄ることにして、左へ進んだ。
車が2台すれ違えないような細い道は片方が薬師寺の古い塀になっていて味わいのある道で、そこを過ぎると更に道は狭い住宅街になる。
駅から5分ほど歩き、突き当りを右に曲がると寺門が見え、ここが「唐招提寺」である。

        

南大門で拝観料600円を支払い中に入る・・・正面にはほぼ修理が完了した国宝の「金堂」があった。   

唐招提寺金堂
唐招提寺は、唐の高僧・鑑真が759年に創建した。
67歳で苦難の末に来日を果たした鑑真は、76歳で他界するがその最後の5年間をこの寺で過ごした。
鑑真招聘の背景には仏教界の規律の欠如があり、来日して間もなく東大寺での指導を任され、400人以上に戒律を授け仏教界に貢献したが、その後は仏教界の軋轢によって東大寺を追われることになってしまう。
しかし、右京区にあった皇族の旧宅地が与えられ、私寺を「唐律招提」と名付けた。
当初は小さな寺だったが、鑑真を慕って多くの弟子が集まり、鑑真の死後、弟子の如宝がこの金堂を建立したのである。
その後、五重の塔など数々の建物が建立され、9世紀初めには大伽藍となった。
この金堂は天平期唯一の金堂で、2010プロジェクトとして2009年秋までにこの解体修理が終了し落慶法要が行なわれるので、この時も中には入ることができずにフェンスの外から外観を見るのみであった。
この時はすでに本尊である国宝「盧舎那仏坐像」と、その両脇に同じく国宝の「薬師如来立像」と「千手観音立像」の三尊が安置されていた。

盧舎那仏坐像
ハイビジョンで数十時間にわたって放送されていた金堂を目にして、新たに作られた平成の鴟尾(しび)や天平の甍、そして苦労して組み上げていた柱や礎石などなど、その想いは私たちをそこにしばらく立ちつくさせるほどのものだった。
ここから左の林の中にある小道を歩き金堂の横に出ると、3mほどの幅がある本坊に続く堀にたっぷりの水があり、僅かに紅葉し始めた木々が美しい。

金堂内陣
左に進むと「戒壇」がある。かつては戒壇院があったが、江戸時代に外構を失なった。
戒壇とは授戒の場、つまり僧になる儀式場とでもいえばわかりやすいだろう。
今この戒壇はインド・サンチーの古塔を模した宝塔が奉安されており、周辺も整備されているので授戒場としての雰囲
気は充分にある。
         
              戒壇内部                                 戒壇
引き返して金堂と講堂を横から眺めてから国宝の「講堂」に入った。

          
               講堂                               金堂(背面)
天気のせいか中は明るく、先客に解説をしている係員がいたので一緒に話を聞く。  

大日如来
中央には本尊の「弥勒如来坐像」、その左に「大日如来」があったが、大日如来は密教の根本仏であるはずなのに何故ここにあるのか?
その左には厨子に入っている秘仏「千手観音」が安置されているが、中は見えないのでどのような仏像かは不明である。
弥勒如来の四隅には国宝「四天王立像」、そして両脇に同じく国宝の「梵天」と「帝釈天」がある。


講堂出口側
左奥には孝謙天皇自筆といわれる「孝謙天皇勅額」、その前に世界遺産認定証のコピーが展示してあった。
晴天のせいか堂内は明るくて仏像はよく見えたので、充分に時間をとって拝観することができた。
講堂を出ると国宝「舎利殿」がある。
鑑真和上が将来した三千粒の仏舎利を奉安した由緒を持つ、伽藍の中で唯一の重層建築物である。
次に金堂を裏側から見る・・・ここが一番至近距離となる。

          
            御影堂へ続く道                              御影堂
「礼堂東室」に沿って奥へ進み開山堂の横を通って地蔵堂や本坊がある壁際に進むと、土塀と紅葉が美しい。
かつて使われていた井戸を見てから引き返し、「御影堂」の入口から中を覗き内部に安置されている鑑真和上像を思い浮べてから礼堂東室の反対側に戻った。
入口に向かって左に二棟の「校倉(あぜくら)」が並び、これがそれぞれ国宝の「宝蔵」と「経蔵」である。
特にこの経蔵は、正倉院の校倉よりも古いことで知られており、唐招提寺の天平の雰囲気を構成する貴重な存在となっている。
次に宝蔵の横を通って「新宝蔵」へ向かうが受付には人がおらず、新宝蔵の前で待っていた係員を見つけて
中に入る。
           
               礼堂東室                                経蔵
拝観料は100円で、何度か見たことのある仏像や出土品が多く、これも以前に見たことはあるが、国宝の「鴟尾」はテレビで何度も放送されていただけに私の思い入れは深い。
最後に休憩所に入ってセルフサービスのお茶を飲み休憩してから、唐招提寺にしかない「天平香・瓊華」という線香を土産に唐招提寺を後にする。

新宝蔵

茶屋
薬師寺を見る時間はなくなっていたので、踏切を越えた住宅街を歩いてみる。

        

入り組んだ住宅街の道は狭く、沼があったり果物が実っていたり、神社もあったが迷いそうなので再び踏切を渡って西
ノ京駅に戻った。
11時14分の電車に乗り、大和西大寺駅で乗換え、11時半には近鉄奈良駅に着いた。

            

昼食は「ならら」1階にある「MILANO DINING」に入る。
日替わりランチとランチセットのトマト、飲物はエスプレッソとコーラを注文する。
どちらも美味しかったが、風邪をひいてしまったのか咳がでると止まらなくなっていた。
それでもほぼ計画どおりに進み、あとは帰るだけであった。
ホテルに戻りスーツケースを受け取り、再び近鉄奈良駅に向かい、何度も通った道を歩きながら寂しい気持ちになる。
地下一階をスーツケースを転がせながら改札まで進み、ここから長い階段となるのでエレベーターを探すと、一番奥まった場所にあった。
12時47分の急行難波行きに乗ると、はじめのうちは空いていたが次第に混雑してきたがラッシュと言うほどの混雑ではなかった。
高いビル街に遠くが見渡せなくなってきたところで、難波に到着。
難波駅は広くてわかりにくかったので駅員さんに聞いて空港行きバス乗り場を教えていただくが、これがなかなか遠くて
構内の端から端まで歩いた気がした。
携帯電話の電池切れで時間はわからず、階段から地上に出たところがバス乗り場だった。
13時40分発のバスが発車しようとしていたので慌てて券売機で切符を購入して乗ると、みなさん一人ずつ座っているの
で並んで座ることができず、Kさんとは分れて座った。

           
           空港行きバス乗り場付近                          空港内
車内はダウンジャケットを着たままだったので暑く、それでも空港には14時に到着し、南ウイング前で下車する。
受付を済ませてスーツケースを預け、2階の売店を覗きながら3階のスカイレストラン「つばさ」に入った。
カフェオレとアイスクリームコーヒーを飲みながら、離発着の飛行機を眺め一服する。
旅行会社のサービス券が3千円分使えるのでJALショップを探し、ここでお土産を購入してから手荷物検査を済ませて
待合室に入った。
17番搭乗口まで移動して、しばらくすると機内へのアナウンスがあり、人が少なくなったところで私達も機内へと移動する。
座席は50JとKだったので後方部だが、機体が大きかったのでまだまだ後方にも座席はあった。
3−4−3の座席なので右の窓際だが他人が隣に座っていて、ほぼ満席の様子である。
真新しい機内は明るく、座席はあの「RECALO」のシートらしい。ちょっといい気分。
羽田は近くて、実際に飛んでいる時間は数十分だろう、あっという間
に着陸した。
16時53分、機体から建物に入る途中外を見ると、日が落ちた夕景が美しかったので写真を撮っていると、他の人たち
も私に倣って写真を撮り始めるほど見事なコントラストだった。

          

夕食を食べるだけの余裕があったので、ビックバード中央部付近の吹き抜けになったオープンスペースでビーフカレー
とかき揚げそばを食べた。
旭川行きの搭乗口22番まで移動して待っていると、間もなく搭乗受付が始まった。
17時40分には機内への移動を始め、窓から機体を見ると小さな機体ではなかった。
座席は19A・Bで、しばらくすると機内アナウンスが流れ、小松から乗り継ぎの飛行機が遅れているために10分ほど遅れ
るとのこと。

             

ほぼ満席の機体は18時過ぎには動き始め、飛び立った直後には夜景が美しく、東京タワーが確認できるとしばらくは
低空飛行で東京都内などの夜景を楽しむことができた。
しかし雲に突入するとディズニーランドの夜景までは見ることはできず、退屈な機内となった。
飲物サービス中に機長のアナウンスがあり、1万1千メートル上空を、遅れを取り戻すために時速千キロで飛行中  
で、定刻19時半に到着するが現地は雪が降っている、などと話していた。
到着15分前には下降しはじめ、やがて街の灯りがポツポツと見えてきて、それが次第に大きくはっきりと見えてくる。
地上が近づき、空港施設が見えたところでタッチダウンする。
19時33分には機体が停止して、一斉にシートベルトを外す音が聞こえた。
空港内に移動すると預けたスーツケースはKさんに任せて、私は駐車場へと向かった。
出発時の地上の色は白く塗り変わっていて、車には20cm以上の雪が積っていた。
駐車場の出口では臨時の料金所ができていて、たくさんの客をさば
いているのでスムーズに出ることができた。
ぐるっと一回りして出口で待つKさんを見つけてスーツケースを載せて出発。
圧雪路面だがツルツルになっているのでスピードは出せず、燃料がなくなっていたので市内に寄ってから自宅へ向かう
こととなった。


2008年 夏休旅行記 終 



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