準備〜出発



  ● プロローグ

今年の夏休みは、2年続いた海外旅行はひとまず休止して、国内の暖かいところへ行こうかと考えていた。
となると、沖縄か九州辺りとなるのだが、以前石垣島へ旅行した時に立ち寄っただけの沖縄に行ってみたくなったので
ある。
旅行会社のパンフレットを集め始めて日数や滞在先などを検討していた時に、新聞広告の添乗員&ガイド付きツアー
が目に留まり、一般的なツアーと比較してみたところ、これが断然安い!お得!
レンタカーなどで自由気ままに好きなところへ時間を気にせず見て回るのも悪くはないが、添乗員&ガイドの案内で小
旗に連れられて観光地を巡る経験も悪くはないなあと二人で話し合った結果、申し込むに至った。


11月15日 旅行会社からの最終的な案内書が届いたのが、丁度一週間前のこの日だった。凡そ最終案内というものは、ぎりぎりこの時期に届くもので心配はしていなかったが、直接申し込みをしていない妻は心配して、何かあったかもしれないと心配していた矢先だった。
宅急便で送られてきた封筒の中には日程表3部(内一部は留守宅用)、空港での集合時間などが記載されたもの、そしてこれらを案内する確認書だが、これに記載されていたのは「宿泊予定ホテルの変更」だった。
オーバーブッキングによりホテルが変更になったことのお詫びに「夕食をサービス」する旨が書かれてあった。
早速、私達が持っていた沖縄のガイドブックで調べてみたが、そんなホテルは何処にもない・・・名前も知られていないホテルなのか?少し心配になってインターネットで調べてみたところ、2005年9月に開業したばかりのホテルだったので2004年版のガイドブックには載っていなかったわけであった。
このツアーは最終泊の夕食だけが各自持ちだったが、これですべて込み料金となった。
色々な人たちと同じバスで観光地を巡る規則正しい日本人特有の旅行なるもの、果たしてどんなものか・・・・・。


11月20日 出発日の前日、今回同行する旅行会社の添乗員さんより電話があり、今回のツアーについての集合場所や時間、現地の天候や服装に至るまで詳しい説明を受ける。
北海道からの総人員は23名で、旭川空港からは私達二人だけらしい。この添乗員さんとは羽田空港で合流となるが、
万一合流できない場合でも問題はなさそうである。
天気予報では2日目と3日目は雨の予報なので雨具の準備も必要となり、個人旅行であれば違ったプランへの変更も
可能だろうが、そうは行かない。


  ● 出発

11月21日 集合時間が早いのでいつも通りに起床、平日となんら変わりのない朝を過ごして、8時15分には車で家を出た。
心配していた雪もなく、路面はほぼ乾いていたし、気温も3℃ほどなのでアイスバーンの心配もいらない。
空港には集合時間の5分前に到着し、ツアーデスクで羽田までと羽田から那覇空港までの航空券を受け取ってから、スーツケースを預けて身軽になった。同じ一階には国際線の受付所も仮設されてい
て、台湾からのチャイナ・エアライン便がすでに着いているようだった。
エスカレーターで2階へ移動して、売店でのど飴を購入し、次に3階まで上って見ると羽田からのJAL1100便が目の前
にあり、その右に小さなチャイナ・エアライン機の整備をしている様子が見えた。

        

私は1階の出口にある喫煙所へ移動して一服し、再び2階の搭乗口へ向かうと妻が待っていて、すぐに手荷物検査を
受けて待合室に入った。
待合室は予想以上に人が多かったが充分に座る場所はあったので、マイレージの登録を済ませてから座って待ってい
ると、9時55分に機内への案内が放送された。
待合室に人が少なくなった5分後には、私達も機内へと移動することにする。
機体への通路には「旭山動物園の仲間たち」と書かれてシロクマやペンギンなどの動物写真が貼られていた。座席は18-A・Bなので窓際だが、翼の上だったので真下は見えなさそうだ。
定刻どおりに10時10分、機体は滑走路へと動き出し、旭川市内側から富良野方面へ急加速して空港施設付近で離陸した。
機体は左へ急旋回しながら上昇するので、私達の座席からは地上がよく見える。
最後に見えた旭川空港ビルから機体は水平になって上昇し、やがて眩しいほどに明るい雲の上に出た。
一通り目の前にある雑誌などを読み終えた頃に飲物のサービスが始まったので、スープとりんごジュースを頼みホッと
一息ついて、これからの予定表を確認した。
機長による案内では「羽田までは1時間25分、速度850Km、気温マイナス51℃、正面から100kmの強いジェット気流のため揺れます・・・」などと説明があったが、その後本当に揺れることがあった。
着陸の20分ほど前に地上を覗いてみると、霞ヶ浦上空を通過中だった。座席の位置からしてディズニーランドは見ることができず、気付いた時には東京湾の真上を飛行していてたくさんの大型船が見え、どんど
ん高度が下がっていた。
前方に密集した建物が見えてから数分で着陸、何度聞いても逆噴射のジェットエンジン音は不安な音である。11時55
分、長いタキシングだが速度は意外と速く、JAL機ばかりが並んでいるゲートに近づき速度を落とした。
沖縄への便は13時10分発なので時間には余裕があったが、搭乗口は北海道と沖縄では全く反対側となるので、とりあ
えず近くまで移動しておくことにする。

羽田弁当

幕の内弁当
途中の中央付近で昼食を食べようとしたが、カレーやそばなどしかなさそうだったので「空弁工房」で弁当を購入することに・・・。
名物と書いてある「羽田弁当」と定番の「幕の内弁当」を買って、広い噴水がある吹き抜けの広場に座った。
羽田弁当は空港内限定販売品で、名物のアナゴやアサリなど、茶飯にのりがのせられていて味も良かった。 
幕の内弁当はサケかと思っていたところマスの山椒焼で、栗ご飯・赤飯・五目御飯の三種が楽しめた。
那覇行きの搭乗口10番に近い場所に喫煙室があったので最後の一服をしているうちに、時間が迫ってきたので妻に
せかされ10番の待合所付近に行くと、今回のツアーの添乗員さんらしき人が小旗を持って立っていた。
挨拶を済ませて説明を聞いてから歯磨きをして、やや高ぶる気持ちを抑えながら待合所のイスに座ると、目前にはこ
れから搭乗する2階席のあるジャンボジェットが出発の準備をしていた。

         
                中央部付近                       横の席は誰もいない
ほとんどの人が機内へと進んでから私達も機内へ移動し始めたのが13時少し前で、機内は広いがやや暗く感じるシー
トの色だった。座席は39-A・Bだったので翼の後方かと思っていたところ、またしても翼の上だった。
この便は半分以上が空席で、3席を二人で使うことになった。
13時10分発、那覇行きの機体が動き出し、やがて雲の上で安定飛行に入ると飲物サービスが始まったので、今回はコ
ーヒーとスープを飲んだ。
2時間25分ほど要するので3席を使って寝ていると、CAさんが枕を持ってきてくれたので楽だったが、前席の人のイビ
キのせいではないが眠ることができないままに着陸案内が聞こえてきた。

         
               那覇空港内                     「めんそーれ」は「いらっしゃい」
翼の真上だったので見にくかったが、青と言うよりは緑がかった海の色が近くに見え始め、やがて陸地が見えたと思う
間もなく着陸した。天候は曇りだが気温は26℃で、機体から空港施設に移動する際にその暖かさを感じることができ
た。
添乗員さんの小旗を先頭に誘導されるのは少しだけ気恥ずかしかったが、2度目の那覇空港内を記憶を辿りながら懐
かしく出口へ向かう。
預けた荷物の受け取りを妻に任せて売店へ行き、非常食用に沖縄名物「塩せんべい」などのお菓子類と「さんぴん茶
(ジャスミン茶)」などを購入してから、添乗員さんの横で妻を待つ。
全員が揃ったところで「めんそーれ おきなわ」の歓迎文字をくぐって外へ出ると、ここは南の楽園沖縄である。

沖縄といえば「第二次世界大戦唯一の本土決戦の地」の印象が強く、私にはこれから見ること聞くこと感じること、その
多くがこの沖縄の地で実際にあった悲惨な戦争体験に触れずに過ぎることは不可能だと考えていたので、これまでの
観光旅行気分とは違った感慨のようなものがあった。
添乗員さんとガイドさんの案内で少し歩くと、これから乗る観光バスが停まっていて「那覇バス」と書いてあり、うーん沖縄らしいなあと思っていたら、私達のバスはその奥にある「東陽バス」だった。
ガイドさんと運転手さんが手荷物以外の大荷物をバスの横の荷物入に入れてくれ、入口に座席表が張られていたが空いている一番後ろの見晴らしのよい席に座った。やや古めの車内だが、移動手段としては広さも装備も充分なので問題はない。
バスが出発したときは16時20分だったが、外はまだ明るくて小雨が降っている。北海道であれば、すでに暗くなっているだろう。空港からのモノレールも走っているが、2両編成の小型バスのような小さなも
のだった。
出発と同時に添乗員さんから、これからの予定などを詳しく聞いて、その後マイクはガイドさんに手渡された。若いガイドさんは沖縄について詳しく話し始め、時々車窓から見える風景や街並みについてもそのつど解説してくれながら、最初の観光スポットに向かっていた。
見知らぬ街の車窓の風景を眺めるのが好きな私は、窓の外に釘付けになっていて、横を走る車にも目が入ってしまうが、どの車もすべて沖縄ナンバーなのは当たり前かと可笑しくなる。
那覇市内は想像以上に密集した街で、さほど南国らしい様子は感じられないが、川を見るとマングローブが生えているところなどはやはり違っていた。
市内の高校生だろうか、私達観光客に向かって手を振る姿が、暖かい地方らしくより親しみを感じる。
バスは高速道路に入って加速すると、次第に周囲の景色も山中といった様相に変わり、雨も止んだようだった。
お馴染みの沖縄特有の巨大なお墓があちこちに見られ、建物の屋根の上には必ずと言ってよいほど貯水タンクがあった。
沖縄の高速道路は車が少なく渋滞することなど滅多にないらしいが、車の保有率が高い沖縄では一人に1台にもなるそうで、一般道路では渋滞が多いそうである。
やがてバスは高速道路から一般道路へ下りて読谷村(よみたにそ
ん)に入ると、民家の形も南国らしい雰囲気のものとなっていた。
狭い横道を何度か曲がりながら上り進み、小高い丘の中腹の公園のような場所にバスが停まった頃には、空港から1
時間10分ほど走っていて、すでに日が落ちて暗くなり始めていた。
世界遺産「座喜味城跡(ざきみじょうせき)」は「ざきみぐすくあと」とも言われ、沖縄の言葉で「城」は「ぐすく」である。

        
             読谷村立歴史民俗資料館                       古民家
入場は無料で、公園のような中に入ると右奥に読谷村立歴史民俗資料館、左には沖縄の古民家が2棟再現されてい
た。ガイドさんの解説を聞きながら緩い上り坂を歩き進むと、近所の人なのか散歩をしている人も見られ、日暮れ間近
ののんびりとした雰囲気も感じることができた。

城郭の入口付近
中学生くらいの子供たちが「こんにちはー!」と元気に声をかけてくれ、アーチ型の石門前の城壁にたどり着く。
座喜味城は15世紀のはじめに護佐丸(ごさまる)により築城されたといわれ、切石積みで造られている連郭式の城で、アーチ型の石門としては最古の物ともいわれているそうだ。
15-16世紀の中国陶器も出土しているので、護佐丸が1440年に中城城に移った後も使用されていたと考えられている。
第二次大戦の時には日本軍の高射砲基地が置かれ、戦後はアメリカ軍のレーダー基地になっていたこともある。
アメリカから返還された1972年には国指定史跡となり、翌年 
から1985年の間に文化庁・沖縄県の補助を受けて、城跡の発掘調査や城壁修理が進められ現在の状態になった。
2000年12月2日には村民待望の「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の資産のひとつとして世界遺産に登録された。
「中央に残っている平らな石の土台が世界遺産なんですよ・・」との説明に驚いたが、どこにでもありそうな古いのか新し
いのかもわからないような建物の跡が世界遺産なのである。

 
        世界遺産の土台                            最上部
城壁は本土のものと違いすべて曲線を描いているが、曲線的な造形が城を大きく見せるのだそうだ。
一番高い城郭に上りあたりを見回すと、美しい色をした海の向こうに伊江島などの島影も望め、素晴らしい風景が広が
っているはずなのだが、生憎の曇り空と夕暮れが近かったことで残念ながらよく見えなかった。
バスに戻った頃には街の明かりも目立つほどに暗くなっていて、バスが動き出してからしばらくして、添乗員さんからこ
の日の宿泊先のホテルに関する案内書を手渡され、詳しい説明がなされた。
20分ほど走った頃に、大きなホテルが建っている賑やかな観光地らしき場所が近づいたが「このホテルではありませ
ん・・」少しガッカリしたがすぐに宿泊先となる、これまた大きなホテルに到着。
リザンシーパークホテル谷茶(たんちゃ)ベイである。ロビー横に集合してホテルの係から説明を聞き、部屋の鍵や食事券などが入った封筒を受け取り、各自エレベーターで部屋に入った。
リゾートホテルはどこも同じようなものだろうと、ハワイやグアムのホテルの部屋を想像していたが、その広さや調度の良さにはいささか驚かされる・・・。
到着時間が遅かったのでさっそく夕食だが、このホテルでは和食バイキング・中
華・ミックスバイキング・イタリアン・洋食・バーベキューと、6種類が選べるらしい。しかし、この6種類もあることが選定
に迷うことになり苦労してしまった。
場所が決まったところで1階まで降りて、少々入り組んだ通路を歩きチャイニーズダイニング「マンダリンコート」に着い
た。案内されたのは、中庭にある電飾がきれいに見える窓際の席だった。
料理内容の説明を聞いてから生ビールを注文して待っていると、同じツアーの人が一組来ていると妻に聞いたが、私にはわからなかった。他の21名の人の顔は全く覚えていなかった。
メニューの内容は忘れてしまったが、鶏肉を素揚げしたような香ばしい味と、辛いエビチリ、家庭的ではない飲茶、これぞチャーハンといえる味、こってり美味しいマンゴープリンなどが印象に残った。
店員さんも親切に二人の写真を撮ってくれるなど、気遣いも良く満足して店を出た。
このホテルは2階がメインホールだったので1階にレストランや売店が集中していて、曲がりくねった通路にある様々なお店を見て歩いていると、中庭への出口があったので外へ出てみることにした。
中庭は海へと続き、コンクリートブロックから簡単に砂浜に下りることができるようだったが妻だけ下りて、私は見えな
い波の音を聞きながら電飾に飾られた周囲の写真を撮っていた。
ホテル中央部には青い電飾で造られた大きなクリスマスツリーが美しく、他にも何組かここを訪れて夜の海辺を楽しん
でいた。
        

20時半から始まる「芸能の夕べ」という沖縄舞踊の公演がメインホール横で始まるというので、そちらへ移動する。
歌や踊りを様々な楽器を使って表現し、最後に会場の宿泊客も参加する30分のショーだったが、僅か二人で演出して
いることを途中で気付き驚かされた。最後に、自分たちの唄や踊りが収録されたDVDやCDの宣伝をして終了となっ
た。
部屋に戻る前に館内のコンビニ兼土産店で、お酒やつまみなどを買ってから部屋に戻った。
館内には有料(800円)の大浴場もあったが、部屋の広い浴槽にコンビニで買ってきた入浴剤を入れて入浴を済ませ、ビールはオリオンビール、紅芋焼などをツマミに広い室内でくつろぐ。
最後に楽しみにしていたのは名物「沖縄そば」で、明星製のカップめんである。しかし、どん兵衛きつねうどんと同じ味だったのにはガッカリ・・・。
泡盛も飲んでみたが、度数13度ほどの水割りのような泡盛だったのでこれ
またガッカリして、これはどうだと沖縄産の日本酒も飲んでみたが、日本酒に芋焼酎を混ぜたような味だったので期待
した私が愚かだったと諦め、それでも長く楽しかった一日の疲れからか23時半には眠ってしまった。

二日目 へ 


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