2日目 當麻寺近辺



11月16日 7時に起床。外を見ると雨が降っていた。
ベッドから見える景色は瓦屋根の民家と体育館のような建物だけで、シトシトと降る雨はなかなかやみそうにない・・・。
いつものようにコーヒーを入れて飲みながら、NHKの連続テレビ小説が始るのを待っていたが、今日は日曜日だったと
気付いて朝食に向かった。
    
      部屋から眺め                   ロビー                  朝食の銀坐
7時40分に1階の銀坐(ぎんざ)に行くと、混雑しているのか入口で少し待たされてから店内に案内された。
和風の店内だったが、洋食と和食が選べるので二人別々に注文する。
私はバイキング料理よりもお膳が好きで、洋食と和食の2種類の朝ご飯を楽しみ8時20分には店を出る。
部屋に戻り久しぶりにゲゲゲの鬼太郎を観てからスーツケースを閉じて、このホテルは1泊だけだったので1階のフロントでチェックアウトを済ませて外に出る。
依然雨が降り続いていたの

ホテルフジタ奈良
で、近くのコンビニで折りたたみ式の傘を購入してみると、ボタン一つで開き、折りたたみも容易にできるうえに超軽量だったので、折りたたみ傘の進化を強く感じた。
続いてこの日からの宿泊先となる「ホテルフジタ奈良」へ向かい荷物を預けるだけのつもりだったが、チェックインも済んでしまった。
身軽になって雨の中を近鉄奈良駅へと向かうが、身軽なので5分程度で駅に到着。
9時52分発の電車で大和西大寺駅へ向かい、橿原神宮前行きの乗り場を駅員に聞くと6番だと教えてくれ、10時05分発の各駅停車の電車に乗った。
窓から見える奈良らしい田畑や養殖池の多い風景を楽しみ平端(ひ
らはた)駅に停車すると、待ち時間が長く、その間に橿原神宮駅までの路線図を見ると10駅も先だとわかった。
10時45分に橿原神宮前駅に着き、斜めに下った構内を歩いて次の乗り場に向かった。
構内は土産物屋やコンビニ、ドラッグストアや本屋まで並んでいるほどだが、北海道にはない形態で新鮮にすら感じる。
端から端の6番ホームまで移動して、すでに停車していた電車に乗るが発車までは時間があったので、BUSINESS365と書かれたキヨスクのような売店を覗くも欲しいものはない。
ようやく電車が動いたのが11時08分だった。
途中の尺土駅で待ち時間があり、當麻駅に着いたのが11時27分。

橿原神宮構内
下車したのは私達だけだった・・・。この頃には雨は上がり地面は乾いていた。
駅の小さな改札口を出て、案内板で確認してから當麻寺参道を行く。しかし、想像していた参道とは異なりお土産物が
売られている商店はほとんど見当たらず、車がすれ違えない細い道には深い側溝がむき出しになっているので足元に
も注意しながら進まなくてはならなかった。

          
                                                 相撲館けはや座
5分ほどで「當麻町相撲館けはや座」に到着し中に入ろうとすると、隣ですよと中にいたボランティア会の人が教えてく
れた。
二つあるように見える建物は中で繋がっていて、相撲館の入口は左側だった。
入館料の300円を支払うと、帰りにくじ引きがありますのでお帰りの際は声を掛けてくださいとのこと。
この相撲館は平成2年5月に開館した全国でも珍しい相撲資料館で、一階中央には本場所と同じ大きさの土俵が造ら
れている。
土俵に乗ってみると、土も砂も白っぽく硬く感じるのが想像とは大違いで、塩まで用意されていたので力士の気持ちになって塩を撒いて四股を踏んでみる・・・倒されたら痛そうだし、擦り傷は免れないだろうなあなどと想像を巡らしどっぷりと相撲の世界にはまっていた。
土俵の雰囲気を楽しんでから、今度は桟敷席からの土俵を眺め観客の気持ちになってみる・・・なかなか面白い。
そして土俵の周りや2階などに展示されている古い資料や番付表、化粧回しなど、初めて目にする珍しい展示物をじっくり見る。もちろん他に客はおらず、自由に好きなように見ることができた。
最後にもう一度、40トンもの赤土を使っているという土俵を堪能して受付に声を掛けると、1枚ずつくじを引いてくださいと言う。くじにはめっぽう弱く、思ったとおりハズレで、葛城市観光協会の絵葉書を頂いた。
相撲館の前には「蹶速塚(けはやづか)」がある。
昔、當麻に大変な力持ちの人がいて、名を當麻蹶速といい近郷の人々に広く知られていた。そのさまは、たとえば角を
裂き、カギをまっすぐに伸ばしたりすることはなんでもないことだった。
その上、足で人を蹴り倒すことも得意で、こうした彼の自慢はいつしか高慢にかわっていったのである。 あげくには「広い世の中に我と力比べをして勝つ者はいない」と思うようになり、そのことを人々にも自慢そうに言いふらしていたところ、時の天皇が「彼と力あわせをする者は誰かいないか」とお問いになると「出雲の国に野見宿禰という者がいます。彼こそは力が優れています」と申し上げた者がいた。
天皇より「それでは、さっそく野見宿禰を召せ」との仰せがあり、その日に倭使として野見宿禰を召し出した。
そして、7月7日を期して蹶速と宿禰の二人に相撲を取らせると、戦いは互いに蹴りあって、ついに蹶速は脇骨を蹴り折られて死んでしまったのである。
さて、みごと天覧相撲をつとめた宿禰は、そのほうびとして蹶速の領地を賜り、命を落とした蹶速の墓が當麻に建てら
れたのである。
これが、現在まで貴重な遺跡として残されている五輪塔で、伝承の上では、當麻蹶速は高慢な人のように言われてい
るが、実際は都ずれしない素朴で野性的な人物で、当時の人々から親しみをもたれていたという。
ここでいう相撲は互いに蹴り合うというもので、現在行なわれている相撲とは決定的な違いがあり、どこか蒙古相撲か
レスリングのような少々荒っぽい取り組みであったことが分かる。これは明らかに古代相撲独自のスタイルとでも言っ
たほうがよく、當麻蹶速と野見宿禰という二人の力持ちはどちらも自分の力を誇って譲らなかったわけで、内容からす
ると投げ技というより足技、すなわち蹴り
技が功を奏して、蹶速を倒すことができたということである。
この蹶速塚に手を合わせて出発しようとした頃には、すでに正午を過ぎようとしていた。
数歩進んだところにラーメン屋があり、交差点から周囲を見渡しても食べ物屋らしき店は柿の葉寿司くらいしか見当たらなかった。
この日は気温が低く寒さすら感じていたので、暖かいラーメンに引かれて店に入ってみた。
「らーめん曷鳥(かつ)」店内は一組しか客がいなかったので、これはしくじったかなと思ったが、注文して待つ間に客はどんどん増えて席は大方埋まってしまった。
「とんこつラーメン&ご飯とコロッケ」と「塩とんこつラーメン&混ぜご飯とチキンとんかつ」を注文する。
ラーメンが運ばれてくる・・・とんこつス
ープの濃厚そうな色がなかなか美味
しそう!ご飯は少なめなので丁度良
く、コロッケは小さくて食べやすそう
だ。
まずスープ、想像通りの味だが、私の
スープを一口飲んだKさんが「私の方
が美味しい!」。なに!と、Kさんのス
ープを飲んでみる・・確かに、塩とんこ
つの方が美味しかった。
チャーシューも美味しいし文句はないが、コロッケだけは冷凍食品のミニコロッケのようで残念。チキンカツの方が手作
り感があったものの、肉が薄くてこちらも今ひとつだった。
言うまでもないが、北海道のラーメンを食べ慣れている私には冷麦かうどんのような感じだった。
まあ、目的のスープの味が好かったので満足して、お腹も膨れて店を出る。
ここからはすぐ近くに山が見えていたので當麻寺は近いのだろう、元気に出発。
途中、軽トラックが家の間に駐車されていて、その隙間にビックリ・・・助手席側は、たぶん1cm位しかないだろう。素晴
らしいテクニックを見せていただいた。
        
           當麻寺までもう少し
當麻寺の入口となる山門である仁王門(東大門)には、ぶらぶら歩きで7分で到着。
石畳の先に15段ほどの石段があり、大きくはないが仁王門が立ちはだかるかのように見えたのは両脇に立つ仁王像
が睨みを利かせているせいだった。

          
                                                中央奥に本堂がある
中へ入ると雨上がりのせいで水溜りができているが、広い境内が現れ、やや左寄りに日本最古白鳳時代の国宝に指
定されている梵鐘があった。
先を行くと、正面には国宝の曼荼羅堂とよばれる本堂、左右にそれぞれ金堂と講堂がそびえて迫力がある。
曼荼羅堂は天平時代の681年の建立で、中将姫の當麻曼荼羅を本尊としてお祀りする堂である。
中で三堂を拝観できる共通拝観券を購入して中に入る。本尊は縦横4メートル四方の曼荼羅図が国宝の當麻曼荼羅厨子の中に収められていたが、原本である国宝の綴織當麻曼荼羅図は秘宝・非公開で滅多に見ることはできない。
模写ではあるが忠実に描かれているので暗い堂内でははっきりとは見え

綴織當麻曼荼羅図
ず、目が暗さに慣れても微かに見える程度だった。
天平時代、藤原家の娘中将姫(ちゅうじょうひめ)は継母に妬まれ命を狙われ続けたが、あえて恨むことなく、万民の安らぎを願い写経や読経を続けた。
そして1000巻の写経を成し遂げた16才のある日、二上山に沈む夕陽に阿弥陀如来の姿を見た姫は現世

本堂
の浄土を求めて都を離れ、観音様に手を引かれるように當麻寺を訪れる。
当時の住職・實雅法印(じつがほういん)に認められ中之坊にて尼僧となり、法如(ほうにょ)という名を授かった。
その後、あの日に見た阿弥陀様のおられる極楽浄土の光景を、五色の蓮の糸によって織り表した。これが国宝・當   

本堂
麻曼荼羅である。
その輝きに心を救われた法如は、人々に現世浄土の教え(この世で浄土を観じる教え)を説き続け、29才の春、不思議にもその身のまま極楽浄土へ旅立たれたのである。
中央の須弥壇には手を触れないようにとの注意の後、入口近くにいた係員が解説をはじめ、聞き終わる頃には目がすっかり慣れて国宝の須弥壇の細かい螺鈿や漆細工が見えてくる。
入口近くにある来迎仏、中央の曼荼羅図の左には十一面観音菩薩、その右側には中将姫の木像が安置されていて、堂内を回って曼荼羅図の後方に出ると裏板曼荼羅図があるが、これはほとんど見えない。
左の小部屋には役行者の像があり、その隣の更に小さい部屋は弘
法大師参籠間と呼ばれ弘法大師の像が安置されていた。
曼荼羅堂を出ると向かって左に講堂があり、係員が入口に立っていた。
招かれるままに石段を登り中に入ると、中央本尊の大きな阿弥陀如来像が威容を放っている。
他にも阿弥陀如来、千手観音、地蔵菩薩、妙幢菩薩、不動明王、多聞天が安置されていた。
解説のCDを一通り聞いてから、じっくりと拝観して外に出る。
講堂は、次に拝観する金堂に比べると広々としているばかりでなく、仏像の数も少ないようだった。
次に向かって左にある金堂に入った。

講堂
金堂は當麻寺本来の中心のお堂で、根本本尊の白鳳時代の国宝・弥勒仏をはじめ、當麻寺創建時(1300年以上前)  

弥勒仏坐像
の仏像が祀られている。建物は鎌倉時代に再建されたそうだ。
弥勒如来坐像は写実的な造形と立体感にとんだ白鳳時代の傑作といわれるだけあって、堂々たる座高2mの巨像が落ち着きを感じさせてくれた。
そして、わが国最古の乾漆像といわれる三体の四天王像のなかの持国天、広目天、増長天像と、鎌倉時代の多聞天像がそれぞれ2m

広目天立像

金堂

増長天立像
を超える大きさで弥勒如来坐像を取り囲んでいる。
金堂は入口の背面が正面になっていて、一回りしてから外に出る。
金堂の裏にある日本最古の石灯籠を見てから西塔へ向かった。
當麻寺のシンボルともいえる国宝の双塔は、創建当時のままに現存する全国唯一のものとして知られ、古式で華麗な塔である。
この道も雨のせいで足場は悪かった。
西塔を拝観してから途中の脇道に入ると奥院(おくいん)へと続く緩やかな坂道があったが、ここからは入ることはできず奥院楼門を下から眺めて入口を探す。
奥院へは間隔の広い石段が続き色付き始めた紅葉が美しく、入口で拝
観料を支払い石畳を進む。
本堂と阿弥陀堂の外観を見てから左へ進むと先ほど下から眺めた楼門があり、ここからは當麻寺の伽藍が一望でき
る。
  
       奥院への石段                 奥院                   双塔が一望に
少し下って右には浄土の世界を再現したという「浄土庭園」が広がっていた。
美しく紅葉する木々の中央には宝池があり、中段に阿弥陀仏の石像、一番奥には十三重石塔が建てられていて、石
段があるので庭園を散策しながら浄土世界を体感できる仕組みになっていた。

           

奥院を出てから左に弘法大師堂があったが、こちらは工事中のために入場はできず、近くの北門から出るのが次への
近道であることがわかった。
當麻寺を出たのが14時36分だったので、この寺には2時間近くもいたことになる。

  
          弘法大師堂                 文晃堂
住宅街を左に、狭い道を案内表示に従って歩いていくと「文晃堂」という文字通り文具店があったので覗いてみることに
する。
外観に比べ内部は新しく、整然と並んだ文具などの商品量が多く見応えがあった。
ここでは手作り風のポチ袋と写経用の細筆を購入する。奥にはカフ

石光寺
ェもあるようだったが、店員はいなかった。
奈良の田舎道らしい住宅街の細道をぶらぶら歩きながら、8分ほどで石光寺に着いた。
門の前の石段の下に落ち葉を集めている人がいて、小高い静かな入口からは

正体不明の型枠
里の風景が広がっていた。緩やかな石段を登って門の横の入口から入るが、狭い境内は静まり返っていて様子がお
かしい・・・。
拝観受付所にも人はおらず、よく見ると張り紙がしてあって花の時期が終ったので拝観は受け付けていないらしい。
右奥にある売店と休憩所を兼ねた建物にも人はおらず、この寺の拝観は諦めることにした。
ここでこの日の寺院拝観は終了となり、このあとは二上山ふるさと公園へ行く予定だったが中止して、最後の目的地道
の駅「ふたかみパーク當麻」へ向かう。
          
          ふたかみパーク當麻
道の駅の案内表示に従って10分ほど歩くと、小高い場所に道の駅はあった。
日曜日のせいか内も外も混雑していて、売店は地元の特産品がたくさん並んでいて生野菜や果物も多い。
ここで奈良漬、お茶、みかん、柿の葉寿司などを購入して外に出て、入口にあった店のソフトクリームを買う。しかし、一
番人気は味付こんにゃくで、たくさんの人が串に刺さった大きな黒いこんにゃくを食べていた。
ひさしのある座布団が敷かれたベンチに座ってソフトクリームを食べていると、こんにゃくを食べている人たちが私達の
前に座り美味しそうに食べていたが、おじいさんが辛子に咳き込みトイレに走った姿は、周囲を笑わせていて実にお   

二上神社口駅
かしかった。
再び道の駅の坂道を下り二上(にじょう)神社口駅へ向かうことにするが、電車の電線は見えるが駅がわからず通行人に聞いてみたところ、意外に遠いことがわかった。
国道の脇の歩道を進み、再び住宅街に入って細い道を行くと15分ほどで駅が見つかった。
駅員に聞くと電車は発車したばかりで、次の電車までは時間があるらしかった。しかし、そのおかげで予定外の尺土駅で下りると好いことを教えていただけたのが収穫だった。
改札を通り1番ホームから線路を渡って2番ホームの橿原神宮方面行きへ移動。
16時13分発の電車に乗り尺土駅で下車、乗換え1分で発車して橿原神宮駅に到着。橿原神宮駅では次の電車の発車
まで2分、16時37分の京都行急行は慌しく動き出す。
次第に混雑してくる車内ではKさんの隣に座った女性の香水がきつく、Kさんは酔いそうになってしまっていたのは気の
毒だった。
また、車掌のアナウンスが変わっていて、「扉が閉まります」の言葉が、何回も聞いた結果、普段は言えるのにある言葉の後には「と・と・と・扉が閉まります」とドモリになってしまうのが不思議だった。
17時05分に大和西大寺駅に着き、ここで乗り換えて二駅で近鉄奈良駅に到着した頃には暗くなっていた。
ホテルに戻らずに夕食を済ませてしまうことにして、いくつかの候補の中から「ならら」にある「中華居酒屋・もつ鍋 膳−ZEN−」に決めた。
なららはすぐにみつかったのだが、案内看板には何故か膳という店名がないのである。
仕方がないので店に電話をしてみると、2階のラーメン屋「しょうりん」が店の名を変えて「膳」になったらしく、案内板は
変更していないのでわからなかったのである。
明るくて近代的な店内で、案内された狭い席で注文をすると、すぐに広い席に移動となる。
ぐるなび奈良版で知ったのでクーポンを印刷してきていたがホテルにある旨を話すと、サービス料金で結構とのこと。
一押しの「大和もつ鍋コース」と豚串、そして生ビールを注文。

         
             ボリューム満天                             食べ頃
外は寒いがやはりビールが美味い。最初にたっぷり野菜のサラダ、そして名物の味玉盛は味付茹で玉子とキムチだ。
豚串は肉が少々硬かったが、トロトロチャーシューはさすがにラーメン屋らしく美味しい。
そして、最後に運ばれてきたモツ鍋にビックリ!
もやしなどの野菜がてんこ盛りに盛り付けられていて、食べごろは野菜が煮えて鍋の高さにまで下がった頃だと教えてくれる。
スープはとんこつスープがくどくはなく、なんといっても国産牛の上質なモツが口の中でとろけるように柔らかかった。
二人では絶対に食べきれないと思っていたが何とか食べ切り、最後のおじやはご飯の量を半分にしてもらって完食となる。
しかし、まだデザートがあった。Kさんは甘いものは別腹と美味しそうに食べていたが私は限界で、無理に詰め込んで店を出る。
まだ19時だったので近くのドラッグストアに寄って、チタンコートの髭剃りを買ってからホテルに戻った。
Kさんは相変わらず趣味の洗濯をして、私は風呂に入って落ち着いたときには21時を過ぎていた。
部屋が暑くて空調を入れてみるが冷たい風は出てこないので窓を開ける。空には月が見えていたので、翌日は天気は
好いだろう。

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