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大和西大寺駅で乗換え、橿原神宮前行き1番ホームで待つが、実は天理行きで、すぐに気が付いて6番ホームに移動
した・・・・・危なかった。
9時08分発、今度こそ橿原神宮前行き電車が動き出す・・・しかし、この電車は各駅停車だった。
電車は混雑していたが、大和八木駅では半分以上の乗客が降車して、この頃には霧は完全に消え去っていた。
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橿原神宮前駅構内 橿原神宮前駅東改札
ようやく橿原神宮前駅に到着して、線路を横切る幅の広い歩道から改札を出ると東側の出口だった。時間はすでに9
時50分。
レンタサイクルから15分ほどで甘樫丘(あまかしのおか)入口に到着する。
自転車に鍵を掛けて頂上まで230mの坂を登る。「まむしに注意!」などという看板はゾッとしたが気にせず登ると、次
第に視界が開けてきて木々も少しだが色付き始めている。 ![]() ![]()
少々息切れする坂道
10分弱で頂上に着くと、広くて平らな丘の上からは明日香の里が一望でき、誰もいないのかと思ったところが意外に多
たことが伺える。
次に向かったのは、自転車だとほんの2分程度の「飛鳥寺」である。
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講堂
広い駐車場の自転車置き場に鍵を掛け置き、門をくぐる。こじんまりとした境内を見渡し、まず始めに右側にある拝観
受付所で300円の拝観料を支払い、靴を脱いで講堂の中に入る。講堂といっても大寺院のそれとは異なり、いたって小
さなお堂であった。内部はさほど暗くはなく、すでに20人ほどの拝観者が始ったばかりの僧侶の解説を聞いていた。
飛鳥寺は蘇我馬子が発願し、596年に創建された日本最初の寺であり、近年の発掘調査によると創建時の寺は塔を
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この丘の上にある
40段ほどの石段を登り右に続く道を進み、更に数段上ると本殿があった。
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創建の由緒は不明なので多くの異説があるらしく、現在の社殿は1781年のものらしい。
石段を降りた住宅街を右へ細い道を行くと案内表示がされていて、ここから上り坂だったがすぐに見えてくる。
丘の中腹の広い敷地にある大きな建物がで、260円の入館料を支払い敷地内に入ると資料館はまだ100mも先であ
時間がなかったので30分ほどで見学は終らせても、外に出た時には12時半を過ぎていた。
来た道を引き返して岡寺方向に走ると、上り下りの多い曲がりくねった国道を走る。周囲を見ると果物の畑も多く、大き
な柑橘類の実がたわわに実っているので、見とれているうちに側溝に落ちてしまった。
幸いケガもなく、私も自転車も無事だったが油断は禁物である。Kさんには大笑いされてしまった。
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惑わされた果実 坂の下に万葉文化館
長い坂を上り切ってようやく下りに入ると、坂の麓近くに大きな建物が見えた。これが「奈良県立万葉文化館」だった。
下り坂を一気に走って駐輪場に自転車を停めて、文化館の隣にある四季創作料理「酒船亭」に入った。
「酒船御膳」と「とろろうどん」を注文して待っている間に食事を終えた観光団のおじさんたちが近くにやってきて、女性
添乗員を囲んでコーヒーを注文し、「美人の添乗員さんは得だねえ」とおだてて取り入っている姿を唖然と見ているうち に料理が運ばれてきた。 ![]() ![]() ![]()
酒船亭
とろろうどんは細い麺に関西風の薄い味付けで、山菜だろうか?歯ごたえのよい菜がのせられたシンプルなものだっ
た。
酒船御膳は2段重のなかに色とりどりの見た目も鮮やかな料理で、味はまあまあだった。
食事を終えて、隣にある「飛鳥の郷万葉人」という土産物店に入ってみる。地酒も売られていたが、ここでは荷物になる
ので買物はせずに店を出る。
奈良県立万葉文化館は{展示」「調査・研究」「図書・情報サービス」の3つの機能を備えた万葉集を中心とした日本古
代文化の魅力を紹介する施設である。 ![]() ![]()
万葉文化館
しかし、中に入ると有料の展示スペースでは万葉をイメージした画家の展覧会を開催しているらしく、これらの絵には興
味がなかったので売店を覗いたのみで、他には所蔵書をさらっと見て外に出ることになった。やや期待はずれだった。
次の場所は近くにあるが道路はなく、自転車だったので歩道を行くとすぐに見つかった。
「亀形石造物」には入口に受付があり、文化財保存協力金として300円を支払った。
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丘を切り開いたような閉塞的な空間にそれはある。中央部に和式トイレのような便器型の石、そこにちょろちょろと落ち
るように水が引かれていて、その下には球形の中を削った石があり外側は亀のような形になっている。
発掘されたのは僅か8年前で、何らかの祭祀が行なわれていたと推測されているらしいが、未だ調査研究中らしい。但
し、ここで解説をしていた地元のおじいさんは学者の説には否定的で、見た人がここで見たままの発想から独自の考
「伝飛鳥板蓋宮跡(でんあすかいたぶきのみやあと)」はすぐにはみつからず、田んぼの中を走るわかりにくい道だった
ことと肝心な分岐点に案内板がなかったことで、反対の方向に進んでしまったためだった。
途中で気付いたので少ないロスタイムで引き返したが、案内板が生の板に書かれているために読みにくく、跡なので当
然想像するしかない。 ![]() ![]()
伝飛鳥板蓋宮跡
周りの石敷きを見ると、正にその下に時代の異なる宮跡が今も地中に層を成して眠っていることを想像すると、これま
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仁王門 この上に本堂がある
岡寺は「明日香村岡」という知名に由来する名で、正式には「龍蓋寺(りゅうがいじ)」、院号は「真珠院」、山号は「東光
山」なので、『東光山 真珠院 龍蓋寺』となる。 ![]() ![]()
開山堂
苦労して登って来た道を引き返し、次へと向かう。
横穴式石室を持つ方形墳で、築造は7世紀の初め頃と推定される。すでに古墳上部の封土は失われ巨大な天井石が
露出した姿になっている。 ![]() ![]()
る。 ![]() ![]()
真っ直ぐに続く石畳の先に本堂が見えて、かつては大伽藍だったらしいが1506年に焼き討ちされ、再建されるが当初
規模には及びもしないという。
橘寺は「仏頭山上宮皇院(ぶっとうざんじょうぐうおういん)菩提寺」ともいい、聖徳太子の父、用明天皇の離宮があった
ところで、聖徳太子生誕の地と伝えられている。 ![]() ![]()
聖徳太子勝鬘経講讃像
当時35歳の聖徳太子が天皇の命により勝鬘経(しょうまんぎょう)というお経を3日間に渡り御講讃したところ、庭には
大きな蓮の花が1mも降り積もり、南の山には千の仏頭が現れ光明を放ち、太子の冠からは日月星の三光を放ったと いう。 ![]() ![]()
この不思議な出来事を知った天皇は、この地にお寺を建てるよう太子に命じ、離宮を改造して造られたのが始まりとさ
長さ3.6m、幅2.1m、高さ1.8mの巨大な花崗岩に亀に似た彫刻が彫られていることからこの名がついた。
伝説によると、大和が湖であった頃、湖の対岸であった當麻とここ川原に間に争いが起こった。長い争いの末に湖の
水を當麻に取られてしまい、湖に住んでいた亀はたくさん死んでしまった。
何年か後に、亀を哀れに思った村人達が亀の形を石に刻んで供養したそうである。
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こんな風景が続く
今は亀は南西を向いているが、もしも西を向き當麻を睨みつけたときは大和盆地は水浸しになるという話が残っている
が、川原寺の境界を示すものという説が有力とのこと。
下り坂を軽やかに走っていると下校中なのか中学生が多く、間もなく見えた聖徳中学校の横を通り下りは続く。
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柿の実 鬼の雪隠
柿の木の葉は落ちてたわわに実った柿の実だけが鮮やかで、ふと気付き通り過ぎてしまったのが「鬼の雪隠」だった
16時58分発の電車に乗って、橿原神宮前駅で乗換え、17時08分には大和西大寺行きが出発する。
ここからが時間がかかり、大和西大寺駅には17時40分近い到着だった。17寺42分には大和西大寺駅を出発して、近
鉄奈良駅に到着。
すでに夕食の時間となっていたのでいくつかの予定していた居酒屋を考えるも、昨夜の食べすぎで胃が不調だったの
で軽く食べることにした。
駅から近い「上海楼」という中華料理店に入ってみた。
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生ビールに酢豚とチャーハン、そして野菜炒め定食を注文する。
古臭い店内に客は3分の1ほど入っていて、円卓にいた老紳士グループが唯一うるさかったくらいで静かに食事ができ
た。
味は専門店らしい普通の食堂では味わえないような美味しさだったので、満足して店を出る。
3条通りを歩いてホテル近くのコンビニに寄ってから19時にはホテルに戻り、フロントで鍵を受け取るときにグルメマッ
プを頂き部屋に戻った。
Kさんは今夜も洗濯を楽しんでいて、私は軽く一杯やってから21時半には寝てしまった。
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